2013年 06月 11日
日本で体外受精、代理出産が認められていない |
のは何故でしょうか。倫理観の問題ですか?
▼amswer
医療技術の精度の問題、法整備の遅れを指摘する立場もありますが、あえて倫理観の問題にしぼります。
たしかに「産みの母」に母性を求める観念も根強く、一方で精子ドナーによるAIDが定着してきた背景には、父性の希薄さもあるでしょう。
父親がだれであっても(不明であっても)、子を産んで育てる責任が母親に重く負わせようとする規範意識も根強い。
代理母は、手放すことが決まっている子を宿して産むリスクを負わせる行為であるとの批判、代理母は借り腹とも俗称されるように母胎を出産の道具のようにとらえることへの批判もあります。代理出産契約を「自己決定尊重」で正当化しようとする論調もあります。
たしかに、国家が公認する以前に、私人間の契約の問題でもあり、介入するには限界があります。
日本で試行されている事例は母親が娘の代理出産を引き受ける形で行われました。親族関係の中の合意とリスク負担に介入し妨げる倫理が「ない」のが、議論が熟成しない最大要因だと個人的には考えております。
同様の問題(親族間のリスク負担こみの契約)は、生体移植についても論じられてきましたが、倫理の構築より既成事実の量産がはるかに進んでしまっているのが実情です。
▼amswer
医療技術の精度の問題、法整備の遅れを指摘する立場もありますが、あえて倫理観の問題にしぼります。
たしかに「産みの母」に母性を求める観念も根強く、一方で精子ドナーによるAIDが定着してきた背景には、父性の希薄さもあるでしょう。
父親がだれであっても(不明であっても)、子を産んで育てる責任が母親に重く負わせようとする規範意識も根強い。
代理母は、手放すことが決まっている子を宿して産むリスクを負わせる行為であるとの批判、代理母は借り腹とも俗称されるように母胎を出産の道具のようにとらえることへの批判もあります。代理出産契約を「自己決定尊重」で正当化しようとする論調もあります。
たしかに、国家が公認する以前に、私人間の契約の問題でもあり、介入するには限界があります。
日本で試行されている事例は母親が娘の代理出産を引き受ける形で行われました。親族関係の中の合意とリスク負担に介入し妨げる倫理が「ない」のが、議論が熟成しない最大要因だと個人的には考えております。
同様の問題(親族間のリスク負担こみの契約)は、生体移植についても論じられてきましたが、倫理の構築より既成事実の量産がはるかに進んでしまっているのが実情です。
by edsw
| 2013-06-11 03:06
| '13年社会福祉専攻科に答える
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