2013年 07月 13日
山田昌弘氏について |
パラサイト,etcは政策的失敗(女性が出産とキャリアを両立できるシステムができていない。最近では若年男子の非正規雇用の増加を促進するような政策など)を無視して、社会的問題をすべて個人の責任に帰しているように思われます。私の偏見でしょうか?
▼answer
パラサイトシングル論の受けとめ方は人それぞれですから、人の数だけの「偏見」があるはずです。悪い意味ではなく。
およそ社会科学は、社会問題の元凶は政治現象、経済行為をはじめ制度的環境に措定する認識に立っていて、まさに政策科学である福祉=ソーシャル・ウェルフェアも例外ではありません。
雇用政策、人口政策、経済政策は、今の時代に生きる人々のニーズに合わせて整備していかねばならないのはいうまでもないことですが、では政策が成功するまで就職・結婚・育児を待っていられるか?といえば非現実的です(抗議のために拒否する人は一定数いるようですが)。
そもそも、政策の成功は人によってさまざまなので、全員が納得する社会は宗教独裁国家を覗いて実現しません。
たしかに、雇用のミスマッチ、ブラック企業問題、性差別的処遇等々は、まだまだ政策が介入して是正すべき面が多々あると思います。
一方で、選択の自由もある。
賃金も休暇も勤務地も定年も会社に決められる正規雇用に、なぜ猫も杓子もあこがれるのか?
専任に応募したこともなく、前任校で専任の誘いを(愚かにも?)断ったワタクシは、なぜ働き方の選択肢をせまくするのか、正直よくわかりません。
自由業、または起業の選択肢もあっていいのに、公務員・大企業にあこがれる学生が膨大にいるのも、就職難の大きな要因のような気がします。
女性の育児と就労の両立は難しいとはいえ、しんどい両立、専業主婦ママ、シングル一筋のどれを選んでも、昔ほどバッシングされなくなりました。いわゆるセレブなんかにあこがれる女子は、男子にとっては地雷みたいなものですから、バッシングもしません(笑)。
よって、「女性が出産とキャリアを両立できるシステム」の実現を待つより、出産とキャリアを両立できるために応援できるパートナーを見つけ育児環境を整えていく方が創造的で、能動的な生き方ではないでしょうか。
その点で、法制度や男性の経済力への拭いがたい依存心が横たわっている限り、真の自立は難しいのではないかと思います。
人が制度をつくると同時に、制度が人をつくる面に着目したのが社会学の「制度化論」の発想です。
この依存心を形づくってきたのが雇用政策と社会保障政策である、と指摘するのはマルクス主義フェミニズムの認識です。女は腰かけ数年で丈夫が取り柄の夫をキャッチして寿退職し、専業主婦になった方が、税金と健保・年金の「給付と受益」を見るとお得です。このエサに誘導されて仕事の才能を放棄してしまった高学歴主婦が、のべ何千万人いたことでしょうか。膨大な社会的損失です。
大黒柱一本が仕事に専念し(つまり滅私奉公に努め資本主義を支える)、主婦という無産階級が「銃後の守り」に努める――これが戦後世代の日本人に成功裡に刷り込まれてきたエートスでした。
ありがたくも保障されている学問の自由を行使すれば、この戦後工業化社会を支えてきたエートスを相対化することもできるはずです。これで豊かな日本はできたけれども、長いものに巻かれることが「私」の未来をバラ色にしてくれるか?と。
パラサイトシングル論からそれてしまいましたが、山田氏はパラサイト本人だけでなく、子供を手放さない親も問題視しています。子供が老人になるまで、平均的な親なら生きているのが現代日本の人口構造です。
自立しようとしない若者だけでなく、苦労して自立する機会を奪ってしまう親の愛情(?)は、問題として立てにくい難問です。これも、マルフェミの上野千鶴子女史が『スカートの下の劇場』で、息子を円満に支配する母親の罪として俎上にのせています。
人口問題は個人責任に帰するには無理があるとはいえ、過干渉・過保護な親を遠ざけられるかどうかは、子供が大人になるためのハードルです。
赤ん坊の子守りぐらいは、親に料金を払って発注しましょう(喜んで受注してくれます)。
なぁに、払ってもやがて戻ってきますから。
▼answer
パラサイトシングル論の受けとめ方は人それぞれですから、人の数だけの「偏見」があるはずです。悪い意味ではなく。
およそ社会科学は、社会問題の元凶は政治現象、経済行為をはじめ制度的環境に措定する認識に立っていて、まさに政策科学である福祉=ソーシャル・ウェルフェアも例外ではありません。
雇用政策、人口政策、経済政策は、今の時代に生きる人々のニーズに合わせて整備していかねばならないのはいうまでもないことですが、では政策が成功するまで就職・結婚・育児を待っていられるか?といえば非現実的です(抗議のために拒否する人は一定数いるようですが)。
そもそも、政策の成功は人によってさまざまなので、全員が納得する社会は宗教独裁国家を覗いて実現しません。
たしかに、雇用のミスマッチ、ブラック企業問題、性差別的処遇等々は、まだまだ政策が介入して是正すべき面が多々あると思います。
一方で、選択の自由もある。
賃金も休暇も勤務地も定年も会社に決められる正規雇用に、なぜ猫も杓子もあこがれるのか?
専任に応募したこともなく、前任校で専任の誘いを(愚かにも?)断ったワタクシは、なぜ働き方の選択肢をせまくするのか、正直よくわかりません。
自由業、または起業の選択肢もあっていいのに、公務員・大企業にあこがれる学生が膨大にいるのも、就職難の大きな要因のような気がします。
女性の育児と就労の両立は難しいとはいえ、しんどい両立、専業主婦ママ、シングル一筋のどれを選んでも、昔ほどバッシングされなくなりました。いわゆるセレブなんかにあこがれる女子は、男子にとっては地雷みたいなものですから、バッシングもしません(笑)。
よって、「女性が出産とキャリアを両立できるシステム」の実現を待つより、出産とキャリアを両立できるために応援できるパートナーを見つけ育児環境を整えていく方が創造的で、能動的な生き方ではないでしょうか。
その点で、法制度や男性の経済力への拭いがたい依存心が横たわっている限り、真の自立は難しいのではないかと思います。
人が制度をつくると同時に、制度が人をつくる面に着目したのが社会学の「制度化論」の発想です。
この依存心を形づくってきたのが雇用政策と社会保障政策である、と指摘するのはマルクス主義フェミニズムの認識です。女は腰かけ数年で丈夫が取り柄の夫をキャッチして寿退職し、専業主婦になった方が、税金と健保・年金の「給付と受益」を見るとお得です。このエサに誘導されて仕事の才能を放棄してしまった高学歴主婦が、のべ何千万人いたことでしょうか。膨大な社会的損失です。
大黒柱一本が仕事に専念し(つまり滅私奉公に努め資本主義を支える)、主婦という無産階級が「銃後の守り」に努める――これが戦後世代の日本人に成功裡に刷り込まれてきたエートスでした。
ありがたくも保障されている学問の自由を行使すれば、この戦後工業化社会を支えてきたエートスを相対化することもできるはずです。これで豊かな日本はできたけれども、長いものに巻かれることが「私」の未来をバラ色にしてくれるか?と。
パラサイトシングル論からそれてしまいましたが、山田氏はパラサイト本人だけでなく、子供を手放さない親も問題視しています。子供が老人になるまで、平均的な親なら生きているのが現代日本の人口構造です。
自立しようとしない若者だけでなく、苦労して自立する機会を奪ってしまう親の愛情(?)は、問題として立てにくい難問です。これも、マルフェミの上野千鶴子女史が『スカートの下の劇場』で、息子を円満に支配する母親の罪として俎上にのせています。
人口問題は個人責任に帰するには無理があるとはいえ、過干渉・過保護な親を遠ざけられるかどうかは、子供が大人になるためのハードルです。
赤ん坊の子守りぐらいは、親に料金を払って発注しましょう(喜んで受注してくれます)。
なぁに、払ってもやがて戻ってきますから。
by edsw
| 2013-07-13 14:48
| '13年社会福祉専攻科に答える
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