2014年 05月 16日
ホッブズ問題とは? |
ホッブズは社会秩序が成立すると考えたが、パーソンズは社会秩序は成立不可能と考えている。この両者の矛盾のことをホッブズ問題というのですか?
▼answer
社会秩序を実現するための方法論を、ホッブズが提示し、それをパーソンズが乗り越えようとした、と歴史軸でとらえて下さい。
「万人の万人に対する闘争」はそもそも万人が自然権を行使するところに元凶がある。それを放棄して君主に委ねるようホッブズは提唱した――これが、ホッブズの立てた問題です。
中世のローマ教皇の権威から独立した権威を得ようとしていた王室にとっては、一見好都合な思想と映ったのがホッブズの政治哲学だったのかもしれません。ホッブズ自身、国民の自然権主張に懐疑的なあまり、性悪説にもとづく統治をを唱えていたので、ネガティブな君主統治論にすぎないのですが。
英国のカトリシズムからの脱却は、16世紀半ばのヘンリー8世の離婚問題に端を発した英国国教会の成立という形で実現しました(大陸のプロテスタントとは違う経緯でローマと決別したわけです)。
ローマ教皇庁の権威の傘を失った英国王室は、絶対主義体制を強化することになりますが、議会制民主主義(代議制)を求める国民運動と対立する中で、清教徒革命、王政復古、名誉革命と体制が二転三転し、17世紀の英国は混乱の時代にありました。
隣国フランスの絶対主義~市民革命~王政復古~共和制の革命史と部分的には似ていますが、(第五次の)共和政に転換して今に至るフランスと、いまだ君主制を維持している英国の違いは、興味があれば探究してみて下さい。
さて、ホッブズが示した「自然権放棄と引き換えの社会契約説」は、のちにロックの性善説に立つ市民政府論(1689)、ルソーの社会契約論(1762)へと批判的に継承されます。
一方、英仏両国とはまったく異なる建国の経緯をたどる合衆国にとっては、王権神授説も教皇権も、「貴族階級」さえも存在しません(貴族気取りのセレブという成り金はいますが)。
移民の寄り合い所帯、その社会の基底には先住民の弾圧と奴隷制の歴史が横たわるのが合衆国です。社会契約説創成期の英仏とは時代状況も国際秩序におけるプレゼンスもまったく違う合衆国で、個人のミクロな行為動機から社会のマクロ・システムまでを統一的に説明しようとしたのが、パーソンズの『行為の総合理論をめざして』(1951)でした。
幸か不幸か、神権政治という「逃げ道」のない合衆国で、パーソンズが秩序形成のキーワードと考えたのが主意主義的行為。なにやら難解な訳語になっていますが、原語ではvoluntarism(ボランタリズム)―自発的な意思―です。
ただし、ホッブズが自然状態と考えた利己主義ではなく、規範意識に根ざした行為の方向づけを提唱したパーソンズは、その規範を信仰にではなく、様々な信仰や出自をもつ社会成員が手を結べる「共通価値」に求めました。
この行為論、社会システム論が直接影響したかどうかは定かではありませんが、政府が国民に何をしてくれるか期待するな、国民が政府に何ができるかを考えてほしい、と呼びかけたJ.F.ケネディの演説は、まさに主意主義思想と相似形です。
パーソンズは、ホッブズ以上に社会秩序の可能性を信じていたと思われます。
その手順として、行為レベルの分析から経済、政策、規範のシステムの構想をライフワークにしたのがパーソンズでした。
ホッブズが、国民個人の自然権の乱用に懐疑的なあまり、絶対君主への「統治委任契約」を提唱したことは、君主権の復活を望む一定層の国民が現存する現代日本にいる我々としては、理解しやすいかもしれません。
長いものに巻かれることも一定の社会秩序を実現しますが、多様な思想、主張、社会観に折り合いをつけながら日本丸を座礁させず進めていける国民意思が実現するかどうか、今が正念場です。
▼answer
社会秩序を実現するための方法論を、ホッブズが提示し、それをパーソンズが乗り越えようとした、と歴史軸でとらえて下さい。
「万人の万人に対する闘争」はそもそも万人が自然権を行使するところに元凶がある。それを放棄して君主に委ねるようホッブズは提唱した――これが、ホッブズの立てた問題です。
中世のローマ教皇の権威から独立した権威を得ようとしていた王室にとっては、一見好都合な思想と映ったのがホッブズの政治哲学だったのかもしれません。ホッブズ自身、国民の自然権主張に懐疑的なあまり、性悪説にもとづく統治をを唱えていたので、ネガティブな君主統治論にすぎないのですが。
英国のカトリシズムからの脱却は、16世紀半ばのヘンリー8世の離婚問題に端を発した英国国教会の成立という形で実現しました(大陸のプロテスタントとは違う経緯でローマと決別したわけです)。
ローマ教皇庁の権威の傘を失った英国王室は、絶対主義体制を強化することになりますが、議会制民主主義(代議制)を求める国民運動と対立する中で、清教徒革命、王政復古、名誉革命と体制が二転三転し、17世紀の英国は混乱の時代にありました。
隣国フランスの絶対主義~市民革命~王政復古~共和制の革命史と部分的には似ていますが、(第五次の)共和政に転換して今に至るフランスと、いまだ君主制を維持している英国の違いは、興味があれば探究してみて下さい。
さて、ホッブズが示した「自然権放棄と引き換えの社会契約説」は、のちにロックの性善説に立つ市民政府論(1689)、ルソーの社会契約論(1762)へと批判的に継承されます。
一方、英仏両国とはまったく異なる建国の経緯をたどる合衆国にとっては、王権神授説も教皇権も、「貴族階級」さえも存在しません(貴族気取りのセレブという成り金はいますが)。
移民の寄り合い所帯、その社会の基底には先住民の弾圧と奴隷制の歴史が横たわるのが合衆国です。社会契約説創成期の英仏とは時代状況も国際秩序におけるプレゼンスもまったく違う合衆国で、個人のミクロな行為動機から社会のマクロ・システムまでを統一的に説明しようとしたのが、パーソンズの『行為の総合理論をめざして』(1951)でした。
幸か不幸か、神権政治という「逃げ道」のない合衆国で、パーソンズが秩序形成のキーワードと考えたのが主意主義的行為。なにやら難解な訳語になっていますが、原語ではvoluntarism(ボランタリズム)―自発的な意思―です。
ただし、ホッブズが自然状態と考えた利己主義ではなく、規範意識に根ざした行為の方向づけを提唱したパーソンズは、その規範を信仰にではなく、様々な信仰や出自をもつ社会成員が手を結べる「共通価値」に求めました。
この行為論、社会システム論が直接影響したかどうかは定かではありませんが、政府が国民に何をしてくれるか期待するな、国民が政府に何ができるかを考えてほしい、と呼びかけたJ.F.ケネディの演説は、まさに主意主義思想と相似形です。
パーソンズは、ホッブズ以上に社会秩序の可能性を信じていたと思われます。
その手順として、行為レベルの分析から経済、政策、規範のシステムの構想をライフワークにしたのがパーソンズでした。
ホッブズが、国民個人の自然権の乱用に懐疑的なあまり、絶対君主への「統治委任契約」を提唱したことは、君主権の復活を望む一定層の国民が現存する現代日本にいる我々としては、理解しやすいかもしれません。
長いものに巻かれることも一定の社会秩序を実現しますが、多様な思想、主張、社会観に折り合いをつけながら日本丸を座礁させず進めていける国民意思が実現するかどうか、今が正念場です。
by edsw
| 2014-05-16 16:14
| '14年社会福祉専攻科に答える
|
Comments(4)
Commented
by
フォン・ケーニヒ
at 2014-05-23 14:44
x
ホッブズ=ジオン公国、ウェーバー=地球連邦、ってとこでしょうかね。
0
Commented
by
edsw at 2014-05-23 15:20
Commented
by
フォン・ケーニヒ
at 2014-05-24 06:47
x
コメント感謝します。ウェーバーの官僚制って表現が古いですが、自由主義圏よりも共産圏の方が当てはまるように思っています。つまり窮屈さが「統治の本性」でしょうか。戻りますが、ジオンは1年戦争後に北鮮的独裁体制から『英国的立憲君主制』=ネオ・ジオンとなり統治機構が軟化されます。しかし連邦はティターンズという軍閥が台頭して議会に介入します。そして軍事力=ABC兵器をもって連邦を支配します。『ガンダムの社会学』は現在社会にリンクしていますね。
Commented
by
edsw at 2014-05-24 11:30
フォン・ケーニヒさん、
社会の統治を司法・立法・行政機関の専権と考えると、自由主義社会もあまり自由ではありませんね。
ガンダムも999もウルトラマンもエヴァンゲリオンも、宗教社会学のテーマです。
信教の自由と自由を捨てる自由は表裏一体です。
社会の統治を司法・立法・行政機関の専権と考えると、自由主義社会もあまり自由ではありませんね。
ガンダムも999もウルトラマンもエヴァンゲリオンも、宗教社会学のテーマです。
信教の自由と自由を捨てる自由は表裏一体です。