2018年 07月 02日
社会は合理化が進み、必要とされるのは合理化された社会に適応できる人間 |
なのに、個性がさけばれている(少なくとも今の教育では)のが不思議です。
1984 の世界がむしろ幸せなのは、と思うことがあります。
▼answer
教育は、知識と経験の移転を、もったいつけながら(笑)進める社会制度ですから、「学び」とイコールではない。
自分の中の違和感や知的好奇心から、個性や創造性が育つものだと思います。
社会は合理化が進んでいるように見える一方で、反知性主義もご陽気に進んでいるのも現実です。
そのような非合理に対抗できるのは「より強い非合理」なのか、理性なのか。
理知化は先端産業や研究職で進む一方、長いものに巻かれて権威にゲタをあずけたくなる大衆心理も確実にある。ビッグブラザーに帰依したくなる信者が増えることこそ、全体主義にとっては「してやったり」です。
先日旅立たれた日高六郎さんの『戦後思想を考える』は、戦前戦後の教育や国民運動の「転向」と大衆心理の不即不離を分析した名著です。ご参考までに。
1984 の世界がむしろ幸せなのは、と思うことがあります。
▼answer
社会の偽善性、大人の事情、教育のウソくささをしっかりとらえた所感と受けとめました。
自分の中の違和感や知的好奇心から、個性や創造性が育つものだと思います。
社会は合理化が進んでいるように見える一方で、反知性主義もご陽気に進んでいるのも現実です。
「ややこしくない」人づきあいが好まれ、私の価値観は「うんちく?」と切り捨てられ、教師が「子供の心をつかむ」テクニックに走り、男のトリセツ・女のトリセツをだれもが求めるように。
理知化は先端産業や研究職で進む一方、長いものに巻かれて権威にゲタをあずけたくなる大衆心理も確実にある。ビッグブラザーに帰依したくなる信者が増えることこそ、全体主義にとっては「してやったり」です。
先日旅立たれた日高六郎さんの『戦後思想を考える』は、戦前戦後の教育や国民運動の「転向」と大衆心理の不即不離を分析した名著です。ご参考までに。
by edsw
| 2018-07-02 15:31
| '18年社会福祉専攻科に答える
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