2002年 09月 28日
スクールソーシャルワーク |
の有用性に興味があるのでもっときいてみたい。
1つの学校専属がよいか、どこまで介入できるか。
▼answer
まず、いま現場の教師がソーシャルワークの意識を持つと、学校はもっと開放的になるのではないでしょうか。
そして多様な経験をもった教員が学校に入って行けば、生徒にとって「生き方のモデル」の選択肢が増えます。
社会とのつながりを考えると、地域社会という生活共同体や、さまざまな職業人とともに、教育を考えて行く視点が必要です。制度としての教育は、その社会の文化の伝承という性質がありますから。
「開かれた学校づくり」は教育行政の新しい指針になりつつありますが、学校はカリキュラムや内容、方法について積極的に情報開示(つまりアカウンタビリティ=説明責任を果たし)、国民は学校に任せっきりにしないことが必要です。
次に、学校(にいる)ワーカーと、学校を(外部から)客観的にとらえるワーカーという区別も可能で、それぞれの職掌を策定すること。そこに限界があるならば、残余領域をどうするかも議論していかねばなりません。
最後に、カウンセリングでは踏み込めず福祉ワーカーが得意とする、当事者の生活実態への踏み込み、介入(インターベンション)も、意義があると思われます。いろいろな専門家が教育にかかわり、児童・生徒が様々な専門家に接する機会も保障すべきでしょうね。
小沢牧子『心の専門家はいらない』洋泉社新書yも、御参考に。
1つの学校専属がよいか、どこまで介入できるか。
▼answer
まず、いま現場の教師がソーシャルワークの意識を持つと、学校はもっと開放的になるのではないでしょうか。
そして多様な経験をもった教員が学校に入って行けば、生徒にとって「生き方のモデル」の選択肢が増えます。
社会とのつながりを考えると、地域社会という生活共同体や、さまざまな職業人とともに、教育を考えて行く視点が必要です。制度としての教育は、その社会の文化の伝承という性質がありますから。
「開かれた学校づくり」は教育行政の新しい指針になりつつありますが、学校はカリキュラムや内容、方法について積極的に情報開示(つまりアカウンタビリティ=説明責任を果たし)、国民は学校に任せっきりにしないことが必要です。
次に、学校(にいる)ワーカーと、学校を(外部から)客観的にとらえるワーカーという区別も可能で、それぞれの職掌を策定すること。そこに限界があるならば、残余領域をどうするかも議論していかねばなりません。
最後に、カウンセリングでは踏み込めず福祉ワーカーが得意とする、当事者の生活実態への踏み込み、介入(インターベンション)も、意義があると思われます。いろいろな専門家が教育にかかわり、児童・生徒が様々な専門家に接する機会も保障すべきでしょうね。
小沢牧子『心の専門家はいらない』洋泉社新書yも、御参考に。
by edsw
| 2002-09-28 01:23
| '02年PSW生に答える
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